私が個人的に親しくさせて貰い、お世話になっている中川淳一郎氏の記事が大変な話題。

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中川氏は、反差別活動家の激しすぎる攻撃性を危惧する記事を書いていた。

反差別活動家の過激な手法に批判的な性的マイノリティーである森奈津子氏。

彼女への集団バッシングも目に余るモノがあるが、反差別活動家の矛先が一般のマイノリティーへも向かう暴走は、ネットでは常識になりつつあるが、社会での認知度はまだまだである。

これらを反差別活動家の自浄作用を促す為にも、彼等の度の過ぎた攻撃性が世に広く認知され、世間から広く批判される事が必要だと思う。

差別を許してはいけないが、反差別を名目にすると何をしても許される訳ではない。

このまま彼等の増長が続けば、中国の反日デモで愛国無罪を叫んで暴動を起こした暴徒のようになる事すら想像される。

その為にも中川氏のような視点での報道が増える事を望む。

記事全文へのリンク↓↓

障害者やLGBT巡る論争における「当事者性」のねじれ現象
*一部抜粋して記事より転載

この「当事者だって嫌がっている」的対立が最近はネットで発生している。それは、LGBTを巡る論争である。杉田水脈衆議院議員が「新潮45」で「LGBTは生産性がない」と書き、ネットでは批判が殺到し、抗議デモも各地で発生した。しかし、ツイッターやブログではLGBT当事者からも杉田氏に理解を示す声や、活動家がむしろ差別を助長しているといった批判も出た。

 すると杉田氏批判の人々が、杉田氏の意見に賛同する「G(ゲイ)」の人物に対する批判を開始。その時に使われたのが「ネトウヨホモ」「ホモウヨ」という蔑称である。マイノリティ当事者であるが、「ネトウヨ」という差別主義者属性を与えることにより、糾弾されてしかるべきだと考えられたのだ。マイノリティへの差別を許さぬはずの反差別の人々が「ホモ」という差別用語を使うとはこれいかに。

 さらに、在日コリアンの中でも「私は日本で差別を受けていないし、幸せ」的な声をあげる人もいる。すると「ネトウヨ在日」と反差別の人々から罵倒を浴びるが、さすがにこれは意味不明だ。